消費
コンテンツを消費する、とはどういうことを指すのだろうか。
最近の流行は目まぐるしく変わっていく。流行りの服は大量生産され、廃棄される。映画は倍速再生される。アニメは大量に作られる。本をただ読むだけ読む。
服を消費する。流行りに合わせて服を買う。流行りに合わなくなったら、まだ着れる服を捨ててしまう。
倍速映画は情報として処理される。監督や脚本の、余白に込められたものは取りこぼされる。そこで得るはずだった感情は置いてけぼりだ。
アニメはただの視覚と聴覚への刺激物へと成り下る。作者の主張は無視されるか、そもそも存在すらしていないか。
本の内容を噛み砕こうとせず、腹落ちしないまま通り過ぎてしまう。ただの活字の脳内音読と化す。
消費ではなく、消化するのが、コンテンツへの真摯な向き合いかたなのだろう。その手段として、語り合ったり、二次創作をしたりするのだろう。
私はコンテンツを消化できているだろうか。上辺の記号だけを認識するだけでなく、その奥にあるテクストを読めているだろうか。自信がない。
それでも、できるだけ足掻きながらやっていくしかない。