私には権利がある

 今日は一日勉強していて特筆すべきことがないので、昨日の日記で書きそびれたことを記しておく。
 母にノンバイナリーであることをカミングアウトしてから、たびたび、ノンバイナリーとはなにか、どう生きたらいいのか、といったことを話すようになった。そのなかで問題となったのが、トイレである。さすが我が母、目の付け所が良い。
 女子トイレに入ろうとしたとき、母が急に、「君はあっち(多目的トイレ)じゃない?」と言ってきて、私が考えあぐねているうちに親子が入っていき、その瞬間に諦めて女子トイレの個室へと向かった。後日そのことについて、どうして多目的トイレを使わないのか、と母が訊いてきたので、身障者などが使うかもしれないから、と私は答えた。重ねて、使いたいけど使えないんだね、と言ったので、そうだと答えた。それを受けて、ちゃっと入ってちゃっと済ませてしませばいいんじゃないかな、と言ってきた。
 そうだ、何も常に埋まっているわけではないし、待たせると言っても一分二分の話だ。ならば、私が使ったって問題はないじゃないか。
 母は語る。昭和は女子トイレの個数が少なくて、イベント事があるとすぐに長蛇の列になり、それが問題となって今のように増えたんだ、だから身障者用トイレだって、使う人が増えれば数も増えるだろう。なにより、そうして日和っていると後の世代も同じように困ることになるのだから、今、積極的に行動をおこさなければならないんじゃないか。そして最後に、君には使う権利があると思う、と言って締めた。
 目から鱗だった。そうだ。行動によって語りかけなければ、世界は変わらない。大きな社会運動に参加せずとも、日常から運動することは可能だ。そうして変えていかねばならないのだ。
 後日、商業施設でトイレに行く際、母に背中を押してもらって多目的トイレを使用した。なんと心地の良いことだろう! 女子であることを迫られずに済む、それだけで随分と心が軽くなる。とても嬉しい。
 そんな訳で、今後は抵抗として、権利として、多目的トイレを使用していこうと思う。