省みる
四時半に目覚める。朝食を食べ、二度寝。
七時半、起床。バナナを食べる。
東北の台風情報をぼんやり眺める。こちらは良い天気だ。
好きな方にメッセージを送った。ツナマヨのおにぎりがきっかけだ。
昼食はエッグベネディクト。
高速バスに乗り、自宅へ。
冷凍庫からご飯を出し、温め、カレーを食べる。
一昨日の発言を考えた結果、◯◯が鉛筆キャップ盗んだって本当?と聞かれた時に、そうだよって答えて、あとから教師に叱られたときのことを思い出した。
全ての関係を断ち、閉じて、表面は無難と優しさで繕い、あとは平穏を享受しながら、死ぬまでなあなあに過ごしたい。けれど、きっと、それは許されないことだ。いや、許せない、か。いやいや、そんな高尚なことはきっと考えちゃいない。
知識欲によって他者を「情報」としてまなざすのってかなり暴力的なのかもしれない。私は私を情報として見られても何とも思わんけど、情報化されることを、生き物として見られていない(人格の非尊重)、別世界の存在として差別している、などの尊厳の毀損として受け取られる、のかも。
>相手を尊重する第一歩は、相手を単なる「役割」や「属性」ではなく、一個の人間として認識することです。
知識欲を抜きにしても、私は他者をひとりの人間として見つめたことがかつてあっただろうか?
私が善を志向するのは、善を成すには善を模索する必要があり、その過程に思考や苦しみがあるからかもしれないね。安穏と生きるのはつまらない。私の善は他者を想ってのものじゃない。他者に興味があるふりをしている。いや、興味はあるのだが、それは情報としての興味で、同じ生き物としての興味(が何を指すのかはわからないが)とは違うのだろう。
私の内面と手の届く範囲だけが私の世界の全てで、それ以外は皆等しく別世界である、としか言えない。前提が違ったのだろう、おそらく。
キャラクターが好きなのは、そのキャラクター表象によって齎されたカタルシスの快感を好意だと思っているだけ? あるいはギャップ萌えか。(それとて私の感情の動きによるものだ)
「敬意」というワードで、なんとなく分かった気がする。情報扱いはモノ扱いで、ひいては敬意がない、ということだ。敬う、尊ぶ、大切にすること。
人でなし。人の道から外れた行いをする者、また、恩義や人情をわきまえないこと。
人情。人としてのなさけ、他人への思いやり、人間が本来もっている人間らしい感情、人に対する思いやりやいつくしみの心。
思いやり。他人のことを親身に考え、察したり気を配ったりすること。
怒りとは「自己もしくは社会への、不当なもしくは故意による(と認知される)、物理的または心理的な侵害に対する、自己防衛もしくは社会維持のために喚起された、心身の準備状態」である(湯川, 2008年)。
ハラスメントのひとつに、人間関係からの切り離しがあるらしい。
個人対個人ではあるものの……
世界……世の中……人々が集まり生活の場としているこの世。世間。社会。
遠い世界、別世界。同じ世界。
同じ人間、人間扱い。しかし突き詰めれば差違ばかり。包括と区別。
連帯。お互いが結びついていること。気分が一つになっていること。
差別。特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である。「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」
諦めと忘却によって、死者はうつくしくなる。