新生活

 一方、私は長門の案内で新居にやってきた。
 小綺麗な見た目の、官舎のような建物だ。築年数はそんなに経っていないように見える。
 中に入り、廊下を抜けると広々としたリビングに出た。
 これは、私一人では持て余してしまう。
 それに、掃除も大変そうだ。(こちらが本音である)
「いいんですか、こんな広い部屋。私としては、一人暮らし用のワンルームを貸してもらえればそれで十分ありがたいんですが……」
 先導していた長門がこちらに向き直る。
「今すぐ手配できるのが我々の寮だけだったので、気にせず使ってください。家電の使い方は、アプリ内の説明書を見ていただければ分かるかと」
 木製のバングルを手渡される。これをどうすればいいんだ。
 こちらの住人には何かが書いてあるように見えるとか、そういうことなのか?
「あのう、私にはただのバングルにしか見えないです」
「ああ、すみません。それでは、使い方をご説明しますね」
 手渡されたそれを腕に取り付けるよう促される。長門がそれに手を翳せば、役所で見たように、空中にいくつかアイコンが浮かび上がる。つまり、これはスマートウォッチみたいなものか。
 アイコンの中から取扱説明書と書かれたものを選ぶと、冷蔵庫、洗濯機、冷暖房など、見慣れた機械の名前がリスト表示された。
「何か分からないことがございましたら、お気軽に電話でご連絡ください」
 ありがとうございます、と言おうとした瞬間、私のお腹がぐう、と音を鳴らした。私は思わず赤面する。
「気づかずすみません。お腹空きますよね。昼食は食べにいきましょうか。何がいいですか? おそらく、そちらの世界とあまり変わらないかと」
「ハンバーガーとかありますかね」
「ええ、ありますよ。では、ハンバーガーにしましょうか」
 長門に連れられるままバスを待つ。バス停の看板には、あと三分と表示されていた。案外すぐ来るものなんだな。
 空を見上げると、街中程ではないが、何人かの魔法使いが空を優雅に飛んでいる。私も飛んでみたいものだ。
 ふと、なぜ言葉が通じているのか気になった。異世界なら、言葉が違ってもおかしくないはずだ。
「それは、私たちの国と、降谷さんの居た国がよく似ているからです。それに、端末から翻訳天法をかけることもできます。それぞれ自分の国の言葉で話していても、相手の言葉もそれに倣うように聞こえるんです。もちろん、翻訳を切ることもできますよ」
「便利なもんですねえ。そうだ。その天法ってのはなんなんですか? 魔法とは違うんですか」
「それは——」
 長門が話し始めようとしたタイミングで、バスが到着した。話はバスの中で聞くことになった。
 意外と混雑しており、私達は二階へと上がる。当然ながら見晴らしが良い。
「我々が天法と呼んでいるのは、魔法が魔物の使うものなので、それと差別化を計るためです。それに、我々の使う天法は、文字通り……言葉じゃ伝わりませんね。空の天を指しています。宇宙の力を借りているから天法なんです」
「魔物が居るんですか」
「ええ、居るんです。街中は結界が張ってあるので安全ですが、少し外れると魔物が現れる可能性があるので、気をつけてくださいね。とは言っても、我々も魔物から守れるように警備体制を整えていますから、安心してください。それが我々の存在意義ですから」
 そういえば、彼女の所属している会社は警備と銘打たれていたな。そういう警備だったのか。
 それからいくつか雑談をしているうちに、いつの間にやら街中に出ていた。
 バスを降りて、小洒落た店に入る。てっきりファストフードかと思っていたから驚いたが、そりゃあ客をもてなすのにファストフードはないか。
 すぐに席に通され、メニュー表を手渡される。
 私は初めての店に来た時は、一番スタンダードなものを選ぶと決めているので、即決した。長門も決まっていたらしく、すぐに注文した。その注文の仕方も、やはり宙に浮かんだ画面に触れて選んでいた。
 やってきたハンバーガーは溢れんばかりに具材が詰まっており、こんなに口は開かないぞ、と思っていると、長門はおもむろにカトラリーからナイフとフォークを取り出して食べ始めた。なるほど、こういうのは切って食べるのか。
「さっき、私の国とこの国が似てるって言ってましたけど、魔法、いや、天法があること以外は同じだったりするんですかね」
「私たちも詳しくは分かっていないんですが、少なくとも、そちらとこちらでは前後が逆転しているヽヽヽヽヽヽヽヽヽんです。だから、そちらのことを、我々は鏡面世界と呼称しています」
「前後、ですか。それは、時間の流れが逆転しているとか、そういうことですか? ううん、それじゃあ老人が生まれて赤ちゃんが死ぬことになっちゃうか」
「そうですねえ、ただ一つ分かっていることは、この世界からはいずれ天法が消えて、そちらの世界と似たような形になった後、文明が衰退して滅びてゆくこと。それだけです。それ故に前後が逆、という訳です」
 なぜ天法が無くなってしまうのだろう。そもそもどういう原理なんだ?
 疑問は尽きない。
 私がううん、と唸っていると、長門はナイフとフォークを置いた。
「興味がおありでしたら、天法科の初等部に通ってみてはいかがでしょう。丁度今は夏休みで、これから入試が始まります。まだ申し込み期間は過ぎていない筈ですから。どうですか?」
「私が初等部に? いやいや、私、こう見えても二十歳超えてますよ?」
「学びに年齢は関係ありません。それに、こちらではあまり年齢を重視していないので、数えていない人のほうが多いですよ」
 そんなもんなのか。ならば、年功序列なんかもないのだろうな。実に羨ましい。いや、羨ましがることもないのか。現にここに居るんだし。
「い、行ってみたいです、学校」
「それでは、手続きはこちらで行いますね。この辺りに天法学科のある学園はひとつだけなので、それになってしまいますが、よろしいでしょうか」
「大丈夫です。いやあ、私、学校ってほとんど通ってなかったので、楽しみです」
「それなら、ますます行くのをおすすめします。きっと良い体験になりますよ」
 こうして、私は学園に通うことに——
 待てよ、学校といえば。
「あ、そうだ、やっぱり試験ってあるんですか」
「試験、ですか。大学はありますけれど、高等部までは、基本的に家から近い学校に通うことになっているので、とくにありませんよ」
「それだと、授業の進度で置いてかれたりしないですか?」
 長門は紅茶を一口飲んでから、そっとカップをソーサーに置いた。
「座学は、基礎的な知識を板書したあとは、各自、タブレットで行います。それぞれに最適化された問題が出されるので、困ることはありませんよ」
「それだと教師がいらなくならないですか?」
「教師は基本的にディスカッションを先導したり、実技の授業、それから休み時間の生徒たちを見守っています」
 思わず、へえ、と声が出る。
 全く予想がつかないぞ、これからの生活。