静かな場所

 昨日の日記を軽く推敲して、思うところがあった。
 最近はヴィーガンばかりが取り沙汰されるが、ベジタリアンという存在もあったな、と思い出した。
 それに、なにも一年中肉や卵などを食べないと決めずとも、今日は肉や卵はよしておこうとするのもヴィーガン的行為と言えるのではないだろうか。
 食といえば、朝食は必ずごろグラと決めていたが、最近飽きてきてしまった。味を変えてもいまいちピンとこない。フルグラに戻ろうか、それとも新地開拓するか。悩んでいる。

 今日も作業をしに学校に来た。
 春休み期間の構内は、広々としていて、静かだ。
『絡新婦の理』に、校舎は堅牢で護ってくれるが冷たくしか接してくれない、といったニュアンスの文章がある。なんだかそれを思い出した。
 私としては、冷たいくらいが丁度いいなと思う。あまり暖かいと気が緩んでしまうし、他者の冷たさは程よい距離感でもある。
 それに、私にとって他人というものは脅威に感じられる。精神的な脅威だ。原因となった出来事は、五年は前のことだが、今でも怖いものは怖い。
 得体の知れない生命よりは、分かりやすい無機物のほうがいい。
 雪原(これは自然の方である)は、もっと広くて、もっと冷たい。ときに命の危機を感じるほど。そんな自然の冷たさが好きだ。
 社会の中で、人間は建物に、仕組みに護られている。自然の中では、その護りは無効だ。その代わり、しがらみも諍いもない。そんな原初の感覚を思い出させてくれる冷たさを、愛している。

 一方、一人暮らしの部屋ではなんだかうまくいかない。
 暖かくて護られていて、本当に誰もいなくて、安心しきってしまう。目には入っていないけれども、どこかに必ず誰かがいるという緊張感が良いのだろうか。
 なんとかひとりでも程よい緊張感を持つ方法を見つけたい。