記憶の吐き出し

 かがみの孤城は予告編で少し知っていたので心の準備をしてから視聴を始めたが、紺色のセーラー服を着て笑うひとたちや、学校に行かない主人公に冷たく当たる母親なんかは、過去のことを思い出させてとても苦しくなった。動悸がする。

 私は不登校児だった。中学一年の後期からだ。原因はいろいろある。
 まず、授業についていけなくなった。これは単に私の努力不足だ。今まで努力せずとも付いて行けたのに、いきなり努力することを要求されてもできるものではない。
 それから、教室の環境に耐えられなくなった。授業中は私語は絶えなかった。授業外ではいじめが起こった。だが、そのどちらも教師は対応しなかった。
 発言も行動も最悪な奴が居たのも大きい。発言という発言が最悪に思えた。クラスは偶数人なのに、そいつらだけ三人グループを作ってひとりを孤立させた(それが私である)。いじめの首謀者もこいつだった。私の人生において、嫌いになった奴はこいつだけである。
 クラブ活動でも、私を指差してクスクス笑う奴らが居た。あれは勘違いなんかじゃない。
 私はだんだんと抑うつ状態になっていき、いつしか学校に通うことが不可能になっていた。
 朝は母に無理やり起こされた。ソファに座って、ただ時間が過ぎるのを待った。朝が終われば行かなくても済むから。座らされている間、さわやか自然百景を見ていたのを覚えている。母はそんな私を見て、逃げているだけだと言った。
 私は担任に泣きながら訴えた。クラスでいじめが起こっていると。教室で泣いている子が居ると。しかし、私がナイーブなだけだと一蹴されて終わった。
 何度かスクールカウンセラーと面談した。
 最初に絵を描かされた。風景の絵を描いた。画力がある訳ではないので、子供が描くありきたりで牧歌的な絵を描いた。それから、カウンセラーが一筆だけ描き、私がその続きを一筆描くということをした。
 そのあとは数回通った。
 朝起きられないことを言うと、窓を開けるとかなんとか、そんな答えが返ってきた。私は一ミリも起き上がる気力が湧かない状態だったので、そんなことできるはずもなかった。
 それから、毎回、どれくらい幸せか、十段階で評価することをやらされた。私は客観的に見れば、私立の学校に通えるほどの財力がある家庭に居て、虐待もされておらず、十分幸せだと思ったから、そのように答えた。設問がどれほどつらいか、だったとしても、やはり客観視して私よりもっとつらいひとが居るからつらくないと答えただろう。
 きっと、そういうことではなかったと、今なら思える。あの時の私は微塵も幸せではなかった。毎日泣いて、泣いて、世界が滅ぶのを願っていた。朝が来るたび絶望した。
 見かねた親は、市立の中学に転校する手続きをした。
 転校先の担任は熱心なひとで、私を家まで迎えに来てまで学校に行くことを覚えさせた。そのクラスは安全で、小学校での友達も居て、次第に自力で通えるようになっていった。
 しかし、次年度のクラスは違った。
 クラスメイトのひとりに、吃音を持ったひとが居た。そのひとを、クラス中が笑いものにした。彼女は居たのかとプライベートなことを授業中に訊いていた。先生は止めなかった。このままでいいのかと担任に訴えれば、彼はそれを居場所にしているから良いと言っていた、と返された。
 そんなことが許されていいはずがない! 彼は諦めているだけだ。
 再び教室は危険な場所になってしまった。
 学校に行かなくなった私を、担任は毎日、電話で来るかどうかを確認しに来た。おかげで数年間、電話の着信音が怖くて仕方がなかった。

 そんな記憶が、わっと蘇った。映画のストーリーは気になるが、序盤以降も思い出させるような描写があるかもしれないと思うと、怖くて見れない。
 たとえどんな体験であれ、後から振り返れば良い経験だったと思える、なんて嘘だ。つらいことは体験しなくていい。するべきではない。