ノンバイナリーであるということ、ゼノであるということ

 今日は全然眠れなかった。最近は全然眠れない日と爆睡の日を交互に繰り返している気がする。
 朝食を食べ、雪かきをする。今日は三連休の最終日の月曜日だ。
 道路がべしゃべしゃになっている。春の訪れを感じる。

 親にノンバイナリーであることを打ち明けるか悩んでいる。
 ノンバイナリーを自覚する前は、女扱いされてもまあこんなもんかと思っていたが、最近は違和感というか、嫌悪感に近い感情を抱くようになった。
 きっと打ち明けても、自分の親なら拒絶しないだろうという確信めいたものがある。それでも、怖いものは怖い。理解してもらえるだろうか。意味がわからないと言われないだろうか。そんな不安が頭の中で渦巻く。

 以前は女であることに疑問を抱かなかった。それは、疑問を抱いても良いということを知らなかったからだ。
 それでも、中性への憧れはあった。眉毛は整えていたが、細くはしたくなかった。私生活では、スカートは絶対に履きたくなかった。体のラインが出る服も嫌だった。肉体にコンプレックスがあった訳ではない。ただ漠然と嫌だった。
 元親友は、中性の体現者だった。それが、パートナーができてからどんどん〝女〟になっていくのが嫌だった。仲間を失ったように感じた。
 昔から、魂だけは男女の区分けから離れて自由であってほしいと思っていた。今思えば、魂はジェンダーのことだろう。胸や子宮が邪魔だとも思っている。できることなら無くなってほしいと。
 以前も書いたが、中二の頃から自認が妖怪だった。それ以前から、私は私であり、何かの区分に所属している感覚はなかったように思う。
 一ヶ月程前まで、人間はどう足掻いても人間にしかなれないと思っていた。しかし同時に、人間のふりをしているとも思っていた。
 私がふざけた時に、親が「どんな生き物だよ」と言うことがあるのだが、それには必ず「こんな生き物だよ」と返している。決して「人間」という単語は使わないし、そう考えることもなかった。
 子供の頃、よく親と手遊びをしていた。手を人間に模したものは「てってさん」で、手をグーにしたものは「みこみこ」だ。「てってさん」役は母で、「みこみこ」役は私だ。
 みこみこは、移動する時にみこみこという音を発する。鳴き声は「みゅー」だ。今は人語を発するし移動音は消えてしまったが、それでもたまに「みこみこ」は出現する。「みこみこ」を演じている時、私は「みこみこ」そのものになる。謎の生き物になることは、とても居心地が良い。
 「みこみこ」は、強いて言うなら妖精だ。彼らにはオスやメスという概念がない。だから今の私も妖精なのだろう。

 私は常々、男も女も関係ないと思っている。それはずっと前からそうだ。きっと、私がノンバイナリーでゼノだからこそ、そう思っているのだろう。
 男も女もそうでない者も、同じ生きているものだから、私はどんな者ともフラットに接することができる。それが私にとっての普通だ。けれど、どうやら異性(に見える)というだけで態度が変わる者がいるらしい、ということに最近気がついた。私にとっては謎である。