ツイッター挽歌

 ツイッター風てがろぐと全文検索を実装しました。
 「呟き」の扉を開けると私の生活や思考、創作の話が見れる……かもしれません。
 全文検索は一番下のボックスから。どっかで読んだ気がするけどどこだっけ、とか、この話はしてるのかな? というときに使えると思います。主に私が。

 昨日に引き続き全く眠れそうになかったため、眠剤を飲んだらちゃんと寝れた。
 朝から昼まで、二つを実装するためにPCで作業。
 午後は寝たり起きたりを繰り返した。

 昔のツイッター風画面を見ていると、いろいろと思い出す。なりチャをしたことや、ツイート数がゾロ目や推しカプに関係する数字になるたびにスクショを撮ったこと、フォロワーとクソリプ合戦をしたこと。全て今は良い思い出だ。
 昔のツイッターは、フォロバ100でも全てどうでもいいツイートをしている奴らしか居なかったし、金にもならなかったから、むしろスタンダードな使い方のひとつだったんじゃないだろうか。
 そうやって繋がったひとの中から、気が合いそうなひとに声をかけたりするうちに、その世界での居場所が生まれていく。
 そういえば、フォロワー数を盛るためだけのアカウントと、それを管理する者がサービスするためのタグがトレンドによく登っていたのを思い出した。◯◯とツイートするとフォロワーが増える、といったようなタグで、それを呟くと本当にフォロワー数が増える。それで管理者が何か得をしていたかというと、とくに何もない。依頼でも何でもない。強いて言えば、承認欲求が満たされるくらいか。そのうちbot対策が強化されて消えていった。
 アニメオタクになってからは、好きなジャンルの繋がりたいタグで多数の人と繋がった。共通の話題があると話しやすい。
 botを名乗りながらキャラクター以外のなりきりをすることもあった。こう書くとちょっと意味がわからない。例えば、馬botと名乗りながら、ヒヒーーーンwwwwwwwとか、人間遅すぎワロタなどと呟く、といった感じだ。
 そのうち、うんこbotを名乗るアカウントが現れたので、私は対抗してトイレbotになり、TLに流れてくるうんこをひたすらに流した。それが元親友との出会いである。その流れで出会った二人とはよく、今は亡きスクフェスの協力イベントを、通話をしながらプレイした。そして夜な夜な、もはや何を話していたのか思い出せないほどのどうでもいい話をし続けた。
 スプラトゥーンも元親友がきっかけで買った。ガチマにも一緒に行った。それから経緯は忘れたが、いつしか四人グループになって、よくプラベでふざけ合った。三分間何もせずにぐるぐると戯れたり、かと思えばガチンコ勝負が始まったり。無意味に水に飛び込みまくったりもした。煽りイカとか、何やら奇怪な動きとかをしたりして、それを録画してツイッターに上げてゲラゲラ笑った。
 ツイッターとは、クラスの中で友達を作るような、そういう場所だった。

 ツイッターはXになってから終わったとよく言われるが、私としてはまだイーロンのイの字も出てこないうちから、既に終わり始めていたと思っている。
 おすすめタブ、これがよくない。
 最初から、誰かのいいねが勝手に流れてくることで不評だったそれは、ユーザーの意見など汲まずにどんどんと改悪が繰り返され、今やこの有様である。
 伸びるツイートばかりが流れてくることで、同じ話を擦れば伸びると学習した人々が、どこかで見たことのある話を繰り返すようになった。昔からツイッターに住んでいる者としては、そのネタツイは昔聞いたよ、またかよ、となったものである。
 そして、ツイッター全体の潮流のようなものが生まれてしまった。同じような話ばかりが流れてくると、人の思考はそちらに引っ張られていく。
 ツイッターを辞めて久しいので、あそこがどうなってしまったのかは分からない。それでも、もうあの場から、わさらー団や奴botのような存在は出てこないだろう、ということだけは分かる。