辞職と無

 バ先②はなぜこうも嫌なのだろう。嫌なことなど何ひとつ起こっていないというのに。労働中は無心だし、終わった後は晴れやかな気分になると理解していても、嫌になる。辞めた方がいいのだろうか。いいんだろうな、きっと。だが、こんな優しい環境で簡単な業務すら遂行できない自分というものを受け入れられない。困惑と疑問。それと幾許かのプライド。
 大凡の理由は分かっている。同年代が多いからだ。バ先①は年上ばかりなので鬱は出てこない。同年代が苦手なのは理解しているが、目の前に居ると恐怖や不安を覚える、といったことはないので、なんだかよく分からない。その場では上手くやれる。しかし、バイトのことを思うと憂鬱になり、無気力になる。今だって休みたくて休みたくて仕方がない。行くと言ってしまった手前、今日こそは行かざるをえないのだが。
 何もできない。何かで気を紛らわそうという気も起きない。ただひらすら天井を眺めている。
 二時になってようやく、たった二千五百円のために半日が無に消えるのって馬鹿みたいだな、というところに思考が行き着く。学校からバ先に行くのは出来たんだから、バ先からバ先に行くのも可能だろうと踏んで、①のシフトに被せるように出勤することにしようか、などと考える。しかしだんだん面倒くさくなってきて、もういっそ今日辞めようか、という気にもなってくる。自分で決めるって面倒だ。だが、バイトのために買った服やクロックスのことを考えると、全然元が取れないまま終わってしまう。勿体無い。勿体無いが、これ以上私の貴重な時間を「無」に費やす訳にもいかない。読みたい本は山ほどあるのだ。
 急に昼飯が食べたくなり、一か月ほど放置していたシンクを片付ける。饐えた臭いがするな、と思いつつ無視していたが、皿の山の麓にはカビが繁茂していた。
 パスタを食い、三時。家を出るには少し早い。
 じっとしていると、みるみるうちにやる気が消えていく。今日働いておしまいにしようかと思っていたが、ここまでくると働くことすら嫌になってくる。行くか、電話で辞めると伝えるか。二つにひとつ。
 刻々と進む時計の針を睨みながら通話履歴を開き、そういえば前回かかってきたのは何時だったのだろうとどうでもいいことが気になり、iのアイコンを押そうとしたにも関わらずなぜか発信してしまい、ええいままよと辞める旨を伝えた。
 今日はなんと空虚な一日だったのだろう。
 バ先②が嫌な原因は分かるが、原因の原因、つまりなぜ同年代が集まる空間に対してストレスを感じるのか、という点が分からない。いや、分からないこともない。学校を思い出すからに他ならないだろう。だが、いや、それが答えか? 「空間」に対する不安、とすると腑に落ちる。無意識下での、過去の記憶の想起だとか、ネガティブな未来予測だとか、そういうもの。あくまで無意識だから確かめる術は無いのだが。
 恐怖は個別具体的なものに対する感情で、不安は漠然としている。だから、同年代の人、目の前の人という具体物に対する恐怖は無くても、同年代の集まる空間という漠然としたものに不安を覚えているのかも知れない。
 とかなんとか言ったが、①は朝からだから不安を覚える暇もなく家を出ることになるというだけで、②も朝からだったなら問題がなかったという説もある。わからん。
 しかし、バイトをふたつ同時に始めたのは、結果的に良かったと言える。もし②だけならば、やはり私に労働は不可能なのだ、と思うことになっていただろうし、逆に①だけだと、完全に治ったのだと勘違いして後々痛い目に遭うところだったろう。