来訪

 五時半に目が覚め、その後、微睡んでいると、部屋の中に人影があった。すわ、強盗か、と薄目を開けて警戒していると、床に置いてあった鞄らしき物を持ち上げ、鈴の音を鳴らしながら帰っていった。人影が入ってきて去っていくというリアリティのある夢は何度も見たが、鞄と鈴は初登場だったので、いつもとは違う人物の可能性が高い。常連客のことは「(父方の)祖父の生き霊」と呼んでいる。このことを母にラインで伝えたところ、母方の祖母か祖父だろう、というところで落ち着いた。墓参りしたからだろうか。
 シリアルを食べ、家を出る時間までツイッターを見て意識を繋ぎ止めた。
 昨日今日と、夏季の特別講義的なものだったのだが、とある有名なデザイナーに講師として来ていただいた。その講義中(といっても制作が主なのだが)に、私の大好きな先生が来て、顔は平然としつつ、胸中は大変なことになっていた。
 というのも、私が一年だったか二年だったかのとき、その先生はひとつの講義を受け持っていたのだが、その講義内で学生時代に制作した三つのインスタレーションのことを話しており、その作品が確固たる先生個人の思想に立脚しており、とても感動したのだ。とくに印象深かったのは、先生の友人の母親が亡くなった時に制作したものだ。いくつかあったうち、明瞭に思い出せるのは、砂浜に母の部屋の扉をそのまま持ってきて設置した、というもの。扉を開けると大海原が広がる。これ以上の弔い方はないな、と思った。
 そんなこんなで帰宅。のち、睡眠。

 彼は王子。センターに立ち、スポットライトを浴び、喝采を一身に浴びる。きらきらと輝く彼のことが、私は好きだ。
 王子にはある使命があった。だから彼は征く。私はそれに従った。荒野を抜け、砂漠を越え、再び王国に帰ってきた。その日は、パレードで街中を回り、ダンスホールで踊り明かした。
 帰り道、私は王冠を模した指輪が落ちていることに気がつく。拾い上げ、城に戻ろうとすると、見送りに来てくれていた彼が「それは僕のものだ」と言う。私は彼の左手の薬指にそれを嵌めたあと、「そうだね、それは君が一番よく似合う」と言った。
 橋を渡る彼の背中を目で追っていると、世界は突然絵本のような見た目になった。彼がふらりとバランスを崩し、欄干に凭れかかると、欄干が崩れ、彼は落ちていく。彼は銃殺された。私の目の前で。彼の兄の手によって。衛兵は、私と、彼の兄──ひとごろし──を交互に見た後、何も見なかった、何事もなかったというように去っていった。
 ──ああ、また間違えてしまった!
 私は知っていた。知っていたのだ。あの指輪を彼に渡せば、彼が殺されてしまうことを。だというのに、私は、のうのうと、あのような……。
 なぜ忘れていたのだろう。
 私が殺した。
 私が殺したんだ。

 そして暑さで目が覚めた。
 実際のところは、踊るシーンでは我々は萌え絵のアイドルで、私が人気投票の一位を獲得していたし(なんと傲慢な夢だろう)、その後には、王子役がFateの遠坂、私が士郎のシーンがあって、一貫性はまるでなかったのだが。

 『脳が壊れた』という本があるらしい。この本は脳梗塞による高次脳機能障害の体験だが、このタイトルを聞いて、精神科に予約を入れる直前のことを思い出した。
 不安によって高速で回り続ける脳みそ。その時点になると、もはや言語的な内容などなかった。空っぽの衝動だけ。自分の運転で自分が酔った、みたいな、そんな不可思議な状態だった。もちろん、ブレーキは効かない。そういう意味ではジェットコースターに乗っているようなものだったのかもしれない。ともかく、その時、「このままでは脳が壊れる!」と思った。その危機感に突き動かされ、すぐに予約が取れる病院を必死で探した。それで今に至る。
 あの直感は正しかったようで、無気力さから動けないことはあっても、「できなくなったこと」はほぼなかった。私の知らないところで壊れた部分はあるのかもしれないが。