おだやか

 講義を受け、帰宅。明日使う教科書を買いそびれたことを思い出しやや焦るが、どうしようもないので明日を待つのみ。
 今日も日記本の作業をしたが、一時間で飽きた。淡々とした作業すら続かないのか、と少しショックを受ける。その後はとくにやることもなく、布団でごろごろした。
 あまりにも穏やかだ。凪いでいる。日々とはこんなに穏やかなものだっただろうか。今までは、緊張の連続で、不安の荒波に揉まれて、自己嫌悪に塗れて、何も言えなくて窒息しそうな、そのようなものだった気がする。いいのだろうか、こんなに穏やかで。いいんだろうな、きっと。
 何にも急き立てられずに過ごせるのは、きっとこの一年が最後だろう、という予感がある。あとは老後か。しかし、その老後とて、いつ来るのか、本当に来るのか分からない。
 認知症の祖母のことを思う。祖母は、おそらく高校生くらいまで時間が巻き戻っている、と母は言う。そのような状態になることは、自我の連続が絶たれるということだ。だから周囲の者たちは、かわいそうに思ったり、あるいは明日は我が身と怯えたりする。しかし、祖母を見ていると、そこまで悪いものじゃないように思えるのだ。祖母はなんだか幸せそうである。